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手賀 直樹(エレクトロニクスイノベーションセンタ エネルギーエレクトロニクス研究部 主任研究員)
須藤 建瑠(エレクトロニクスイノベーションセンタ エネルギーエレクトロニクス研究部)

日立製作所は、パワー半導体で従来のシリコンよりも絶縁耐圧が10倍も高いSiC半導体材料によるパワートランジスタの弱点を克服し、TED(Trench-Etched Double-diffused)-MOSと呼ぶ新型SiC MOSFETを開発した。SiCパワー半導体で後発組の日立が追いつき追い越せ作戦を展開する。決め手となる新型トランジスタを開発したエンジニアたちは、どのようにして実現させたのか。彼らは研究所だけではなく、設計部門や製造部門、営業、応用技術などに加え、さまざまな部門の人たちとの協力と要請があって初めて成し遂げた。まさに人間ドラマの下で実現できたといえそうだ。

(2018年12月11日 公開)

SiCパワーデバイスの特長

手賀開発したパワー半導体は、定格電流・耐圧が大きなデバイスで、従来のシリコン(Si)半導体デバイスは、高耐圧向けに設計した場合、高抵抗とならざるを得なかった。一方、SiC(シリコンカーバイド)は、Siと比べ抵抗が低く、耐熱性もあるため、大電力用途に向いている。

特に最近は、電気自動車(EV)向けに開発が進んでいる。EVの駆動系は主に3つの部材から成る。電池とモータ、インバータである。電池とモータとの間にインバータがあり、インバータはモータの回転数を自由に変えられる。さらに回生ブレーキとしても使われる。インバータにおけるパワー半導体の役割は、通電のオン・オフ切替によるモーター制御信号の生成である。
ただし、SiCはまだ価格が高いので、当面は高級車向けに使われていくだろう。バッテリはできるだけ減らしたいためインバータの効率が良くなければならない。SiCを用いれば、冷却系が簡素化でき、小型化に貢献できる。空間的な配置の自由度が高められる。EVはバッテリの重量が大きいため、立体駐車場に入れられないクルマもある。だからこそ、効率化が求められている。

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日立パワーデバイスとの連携

手賀日立がこの新型パワーMOSFETを製品化する部門は日立パワーデバイスを予定している。ここは日立製作所の日立工場臨海工場と、日立原町電子工業が2013年に合併して設立された、パワー半導体の設計製造会社である。すでにこの会社と設計の段階からユーザー側の要望を取り入れて開発を進めている。

SiCパワー半導体を製品化している企業には、ローム、三菱電機をはじめ米国のクリー(Cree)社、ドイツのインフィニオンテクノロジーズ(Infineon Technologies)などがある。日立としては、こういった先行企業に追いつき追い越せをめざす。

後発だが、日立のSiCパワー半導体デバイス開発には、かつて微細なCMOS LSIを開発していたエンジニアが多いため、シリコンパワー半導体のしがらみがなく、自由な発想で開発できるというメリットがある。設計マージンという考えがCMOS LSIで鍛えられているため、歩留まりや生産品質に対する感度が高く、量産化に強い。

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東京工業大学での経験

手賀現在は、SiCパワーMOS半導体の開発を牽引しているが、もとはフラッシュメモリやCMOS LSIの開発に携わっていた。私は、東京工業大学の金属工学科で学部を過ごし材料工学の修士課程を修了した。恩師の入戸野(にっとの)修教授の強い影響を受け、半導体に興味を持った。入戸野教授は、将来の社会ビジョンを持った研究者であると同時に人を育てる教育者でもあった。東工大で教授を務めながら、田町にある東工大付属工業高校の校長も兼任した。2011年の東日本大震災の時は福島大学の学長を務めていた。将来社会人としてどうやって行くのかを中心に教えてくれた先生だった。入戸野教授を通して半導体に興味を持つようになり、さらに入戸野教授の後任である中村教授の勧めもあり日立に入社した。

2004年に入社してからはシリコンの微細MOSで生じるランダム・テレグラフ・ノイズ(RTN)と呼ばれる不良現象について研究していた。2008年~2009年の2年間、IBMと共同でより微細なMOSにおけるRTNの影響について研究をするため、ワトソン研究所に滞在した。2010年から研究所に勤めた山岡雅直 主任研究員は私の後にワトソン研究所に出向し、回路レベルでのRTNの影響を研究していた。私は帰国後SiCに着手した。

須藤手賀主任研究員の部下になる私はまだ入社2年目にすぎない。入社前は東京工業大学の電子物理工学科で学部・修士課程へ進み、CVD(化学的気相成長)などを使った人工ダイヤモンドの研究をしていた。修了後、日立に入社したのは、実験が大好きだからだ。大学時代、ダイヤモンドの合成の時は一日中研究室で実験に励んでいた。最近は半導体産業に対する風当たりが強い中、しっかり実験させてもらえる企業に入りたいと思った。研究所にクリーンルームがある企業は日立くらいしかなかった。

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信頼性試験における特徴

須藤パワー半導体のように高い電圧と大電流を流すようなデバイスの測定には絶縁が非常に重要で、デバイスを冶具に設置し、測定系全体を厚いアクリルケースで覆う、また外部とも完全に絶縁する。企業における安全意識の高さを学んだ。

手賀パワーデバイスではいろいろな動作を測定しており、なかでもスイッチング動特性評価は実動作に近い環境での評価になる。特に、シリコンより高速で動作させることができるSiCでは、動特性の評価が難しく、オン・オフの瞬間の特性が実際のデバイスで重要になる。

また、信頼性試験では、デバイスが壊れるまで、何kVまで電圧をかければ壊れるか、何Aまで電流を流せば壊れるかを実験して、その寿命を把握しておく。破壊試験であるため、防護壁をきちんとしておくことが重要になる。私たちはデバイスが壊れる時を"死にざま"と呼んでいる。これを正確に見ていなければ、それに耐えられるデバイスを作ることはできない。

クルマではアクセルを踏む・放すという動作に加え、不慮の故障でデバイスに通常以上の高電圧がかかる場合がある。その場合でも安全保護回路が動作するまで、高電圧に耐えなければならない。死にざまを見るのは、そのためだ。

日立では、実験するための手順書は完璧に揃えている。それでもパワーデバイスの実験には、免許皆伝が必要で、実験を教え込んだうえで第三者の視点から認定できるかどうかを見極める。しかも実験する場合は必ず二人一組で行うようにしている。

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SiCのトレンチはなぜ弱いのか

手賀SiCを手掛けてみて、Siと違うところは意外なところにあった。SiCは、シリコンと比べて絶縁耐圧が10倍と圧倒的に高い。このためシリコン並みのオン抵抗で、シリコンの10倍高い電圧まで使えるはず。ところが、SiC上の絶縁膜はシリコン上の絶縁膜と同じであるため、絶縁耐圧(破壊電界)がSiCのそれと同等である。MOS構造の絶縁膜の絶縁電界が相対的に弱いため、構造によっては絶縁膜が壊れやすいことになる。

実は、このことが今回の新しいTED-MOSトランジスタの発明に行き着いた。元々SiC MOSトランジスタはDMOS構造で、基板裏面のドレインから基板表面までは縦方向に、基板表面では横方向に電流を流すデバイスである。しかし、横方向に流れる電流が小さいため、トレンチ構造を取るように変わってきた。トレンチは縦方向に電流を流すため、小さな面積で電流をたくさん流すことができる。ところがトレンチ構造は、トレンチの底の角において電界集中が起きやすい、という問題があった(図1)。ここに絶縁膜が被されているのだが、電界が集中しやすく絶縁膜に大きな電界がかかりやすくなるため、絶縁膜の弱い部分は壊れやすくなる。


図1 トレンチの底の絶縁膜が弱い

シリコンは絶縁耐圧がSiCの1/10と低いため、半導体内部の電界を考慮して耐圧を上げることを考えていればよかった。ところが、SiCの絶縁耐圧があまりにも高いため、これまで考えなくてもすんでいた絶縁膜自身の耐圧がボトルネックとなった。このため、絶縁膜にかかる電界を考えながら設計しなければならなかった。

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新SiC MOSFETのアイデアはどこから

手賀3~4年前に上司であった 嶋本 部長(現在 企画部長)および 島 ユニットリーダ(現在 部長)が、EV向けのSiCの次世代のデバイスを作ろうと提案してきた。これがSiCを開発するそもそものきっかけになった。他社が実施しているトレンチ型SiC MOS構造をシミュレーションで研究した。その結果、トレンチ型SiC MOSトランジスタはバラツキに弱いことがわかった。半導体デバイスはトランジスタ1個1個特性がバラつくものの、許容範囲内であれば生産上問題はないが、シミュレーションしたSiC MOSトランジスタは、ある条件なら性能が得られるが、その設計マージンが非常に狭かった。

当時、技術的にサポートしてくれたのが 久本 大 主管研究員(現 主管研究長)だった。久本氏は最先端CMOS LSIの基本トランジスタであるFinFET構造の発明者だ。2000年にIEEE Transactions on Electron Devices論文誌に掲載された久本氏のFinFETに関する論文の引用は、1700件近くにも及ぶという。スマートフォンなど最先端機器の多くにFinFET構造のCMOS LSIが使われている。私が提案したSiC MOSトランジスタのさまざまな構造を久本氏に示したが、マージンはどうなるのかと聞かれ、ダメ出しをいくつももらった。トレンチ型MOSFETの構造に関して、同じユニットのメンバーにも協力してもらい、いろいろなアイデアを出してもらいながらさまざまな試作検討を重ねたが、明確な解は得られなかった。

その久本氏に、「手賀君、電流は縦に流すことだけ考えているのではなく、横に流すことも考えてみたら?」と言われ、ユニットのメンバーにも相談しながら頭をリフレッシュして考え付いたのが、今回開発したTED-MOS(図2)である。この構造は、トレンチの溝に沿って電流が流れるため、トレンチを増やす分だけ電流を増やすことができる。さらに 須藤 総合職研修員がSiCの権威ある国際学会の一つであるEuropean Conference on Silicon Carbide and Related Materialsで発表した、電界を抑えるためのp型層を導入することで、電流経路上部での電界を緩和することができた。この結果、壊れにくく、かつ電流の流れやすい構造を得ることができた。


図2 開発したTED-MOSは電流が横方向に流れるが壁面に沿う電流パスが大きい

さらにこの構造で耐圧シミュレーションを行ったところ、設計マージンが広いことがわかった。これなら量産にも耐えられると考え、国分寺にある研究所のクリーンルームで試作を始めた。EVがまだブームになる前にSiCデバイスを開発しようとした 嶋本 部長や、後任の 島 部長の英断があり、そして 久本 主管研究員らのアドバイスを得て、デバイス作製にたどり着いた。

従来の縦型トレンチ構造と比べ、デバイス面積は若干大きくなるものの、設計マージンが広くなるため、高い歩留まりが期待できる。また、電流をさらに多く取ろうという場合には、トレンチの幅を詰めていき電流パスを多数設けることで可能になる。

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さまざまな部門との協力体制の確立

手賀SiCの開発は研究所から出発したが、製品化には日立パワーデバイスの営業や設計・開発部門などとも協力が欠かせない。設計・開発部門は常に顧客の声を代弁しているところがあり、厳しい要求を突きつけてくる。性能は重要だが、高い信頼性の保証も求められる。クルマ向けだと半導体が壊れたら人命にかかわり、工場向けだと生産を止めることになり損害を出しかねない。だからこそ、高い信頼性保証が要求される。

SiC材料そのものだと学会などのアカデミックなディスカッションが必要であるが、応用の要求にも耳を傾け、作る側すなわち工場側の意見も聞き入れながらやってきた。また開発の段階からインバータの技術者の意見にも耳を傾け、あらゆるレイヤーの方々とのコラボレーションがなければ進まなかった。営業からの意見も聞いた。厳しい意見もあったが、それに真摯に対応したことで、デバイス開発までこぎつけた。

材料の品質になると、結晶欠陥の物理の議論が必要であるのに対して、デバイス設計は生産を見越したマージンの話になり、応用のインバータ回路だと動作や波形、モータ駆動など電気回路が必要となる。もちろん、半導体そのものはもともと強い。また今後、クルマのデータがサービスとして使われるようになると、MaaS(Mobility as a Service)のサービス業者も出てくるようになり、情報システムやデータを利用するサービスなどの業者との対話をしなければならない。これまでのレイヤーでは日立製作所内での話が多かったが、今後は社外とも話をすることになりそうだ。

須藤パワー半導体を手掛けてきて、レイヤーの広がりを肌で感じている。大学にいた時は材料そのもので、とにかくきれいな材料を作れば後は使ってもらうだけ、という気持ちだったが、今回パワーデバイス作りをやってきて、評価する項目がどんどん増えていく。性能は良くても別の項目がダメ、ということも多い。また学会に出て競合他社のエンジニアの話を聞いていると、注目点が自分とは違っていることがわかり、考えるべき項目はどんどん増えていく。

写真:手賀 直樹

手賀 直樹

日立製作所 研究開発グループ
エレクトロニクスイノベーションセンタ エネルギーエレクトロニクス研究部 主任研究員

 

塩野七生さんの「ローマ人の物語」に感銘を受けた。
ローマ建国から滅亡までを描いた歴史物語だが、偉人を偉人として描いていない。社会システムという観点からローマ帝国のストーリーを書いており、偉人は社会システムの中のリーダーという位置づけに感動した。新しい視点だと感じた。

もう一つ印象的な本は「Random Telegraph Signals in Semiconductor Devices」。
自分の論文がかなり引用されており、社外の人に評価されたことは研究者冥利に尽きる。

写真:須藤 建瑠

須藤 建瑠

日立製作所 研究開発グループ
エレクトロニクスイノベーションセンタ エネルギーエレクトロニクス研究部

 

伊藤計劃氏が描いた「ハーモニー」に感銘した。
この本は近未来に起きた第3次世界大戦後の荒廃した世界の反動でみんなが思いやりを持ちすぎるという世界観を描いた小説。34歳で亡くなる前にこの本を出版した。その若さで世界を自分で描いたことに感銘を受けた。研究者として自分がどういう世界を作りたいと思って研究するのか、を考えるようになった。

特記事項

  • 2018年12月11日 公開
  • 所属、役職は公開当時のものです。