インクが温度センサーになる。そんなアイデアから日立では物流における温度管理を革新するサービスの開発に取り組んでいます。管理温度からの逸脱を色の変化で検知できるインクと、身近なデバイスであるスマートフォンを組み合わせることで、商品の温度管理状態が誰でも一目でわかります。これにより、生産から消費まで一貫性のある個別商品単位での管理が可能です。「物流の品質が目に見える世界」の実現に向けて、徹底した顧客視点でサービスの開発に取り組む研究者二人にお話を伺いました。
川崎 昌宏(かわさき まさひろ)
主任研究員
會田 航平(あいだ こうへい)
研究員
(2018年4月19日 公開)
會田はい。開発した「温度検知インク」は決まった管理温度内では色が変化せず、管理温度を上回ったり、下回ったりした時に色が変化するという性質のものです。管理温度を上回ったことだけでなく、下回ったこともわかるというのが一つの特長なんですよ。さらに、管理温度内に戻ってもいったん変わった色は戻らないという不可逆性を持っています。これによって管理温度から逸脱した証跡が色の変化として残ります。
温度検知インクの管理温度はマイナス20℃から60℃程度まで、2℃刻みで自由に設計することができます。管理温度から大きく逸脱するほど、また、管理外の温度にさらされた時間が長いほど、インクの色が濃くなります。
図1 温度検知コード
この温度検知インクを利用して、物流全体の温度管理状態の情報をお客さまに提供するという新しいサービスの開発に関連部署と取り組んでいます。このサービスでは、製品情報を持つ商品のIDコードと温度検知インクを組み合わせた「温度検知コード」を使用します。これを段ボール一個一個に印刷したり、貼り付けたりします。それをスマートフォンで撮影することで、温度検知インクの色の情報とIDコードの情報を読み取り、スマートフォンの時間と場所の情報を追加します。物流の各段階でこのようなデータを取得することで、物流全体の温度管理状態をモニタリングできます。
川崎品質管理に問題のある食品が誤って消費者に渡ると大きな社会問題となりますよね。どんなに厳格な温度管理を実施している企業でも、たった一つのミスが企業価値の損失を招きます。そういった品質管理で生じるミスをなくし、企業の信頼を守る、さらには企業価値を向上させることがこのサービスの狙いです。
このサービスでは、商品の温度管理、時間、場所などの情報をお客さまに提供します。物流での温度管理状態をモニタリングし、温度管理からの逸脱を検知できるようになれば、社会課題の一つである、輸送中のフードロスを減らすことにもつながると考えています。
図2 温度検知コードを利用した温度品質管理サービスの概要
川崎もともと、食品会社から、温度が変わったら色が変わるインクが欲しいというニーズが上がっていたんです。食品の温度管理は重要課題なので、温度管理状態が一目でわかるようにしてほしいということでした。
ただ、それを受けてすぐに温度検知インクを開発したわけではなくて、いったんこのニーズはニーズとして置いておいて、インクを活用した新しいサービスを創成するという視点から考え直すことになったんです。そのときに、わたしと會田さんがチームのメンバーとして加わりました。わたしはマーケティングやビジネス全体の設計を、會田さんがインクの開発を担当することになりました。
最初の3か月くらいは、ビジネスモデルを作るためにお客さまから情報を集めることに専念していました。お客さまの製造ラインから販売に至るまでのすべてのプロセスを見せてもらいつつ、インクの具体的な使い方をお客さまと一緒に考えました。
そうしてできあがったのが先ほどご紹介した温度検知コードを利用したサービスのビジネスモデルです。結果的に、温度で色が変わるインクという当初のニーズに立ち戻ったわけですね。そのあとは、まずはお客さま先での実証実験の期限を切って、そこからインクを開発したり、システムを構築したりといった開発を進めていきました。いまはそれらを使っていくつかのお客さま先で実証実験をしている段階です。
川崎インクから情報を読み取れるというのがポイントです。温度検知インクは温度で色が変わるといってもそれだけではただのインクなんですが、スマートフォンを利用することでIoTと結びつきました。温度検知コードをスマートフォンで撮影して読み取れば、色の情報が数値として定量的に残せます。さらに、スマートフォンが持っているGPS機能により商品の位置情報や時間情報が追加されるので、温度検知インクの色の情報と合わせて、物流のどの段階でどのくらいの時間温度管理から逸脱したのかが証跡として残せます。スマートフォンは導入コストも低いですし、比較的誰でも手軽に扱えるのもメリットです。
會田これまでは、販売をする小売店や製造元でそれぞれ個別に温度管理を実施していて、一貫性のある管理やモニタリングの仕組みはなかったんです。その場合、生産から消費までのプロセスのどこで温度管理に問題が発生したのかわからないですよね。物流全体を個別にモニタリングするためには、まず商品の温度状態がわかる温度センサーが安価であることが非常に重要でした。安価で、手軽に扱えて、かつ全体で一貫性のある温度センサー。それが温度検知インクだったんです。
川崎わたしもこの研究に携わる前は、半導体デバイスの材料の研究をしていたので、センサーと言えば高価なものというイメージでした。インク自体が安価な温度センサーになるなんて、なかなか思いつかないですよね。これは、日立の中に我々のように材料の研究をしている人もいれば、デバイス、システム、サービスをやっている人もいたからこそ出てきたアイデアです。そういったいろいろなものをつなげていくビジネスは、世界でも類を見ないところですね。これまで日立がいろんなレイヤーでの研究をやってきた強みを生かせたと考えています。
會田これまでの研究よりも速いスピードでコア技術であるインクを開発する必要があった点でしょうか。まったく手元に技術がない段階から、お客さまに期限付きで実証実験の提案をして、その期限までにお客さまの商品に見合った管理温度を検知できるインクを開発する必要がありましたので。
川崎具体的な開発期間は言えませんが、相当速かったですね。そこは會田さんが優秀でした(笑)。
會田ありがとうございます(笑)。わたし自身は今回初めて温度で色が変わるインクの開発を担当したのですが、これまでは自分自身の研究した技術を製品化した経験がなかったんです。初めて製品を世に出すという気持ちがモチベーションになりました。お客さま先での実証実験でも「早く製品化してほしい」という声もいただいていたので、それも励みになりましたね。
今回の研究は、初期段階においてビジネスモデルの仮説を立て、その仮説に沿った「温度検知コード」さえ開発できればいいというスタンスだったので、課題が明確であったことが開発スピードの加速に繋がったと思います。サービスのコアになる温度検知インクは、技術を日立で持つ必要がありましたが、それ以外は、他社との協創でも良いですし、自社開発にはこだわらないという思いでいました。そのような中でさまざまなパターンを試行して面白い技術が見つけられました。
川崎そうですね。最初の段階では、不完全であってもビジネスモデルのコンセプトをきちんと見せるということが重要です。いまは事業化に向けてビジネスモデルをブラッシュアップしているところですが、振り返ってみると結構最初からいいところを突いてたなと思いますね(笑)。ただ、最初から良い案を出しても本当にそうなのかを立証しないとビジネスとしては成立しません。ビジネスとして成立するかを検証する段階でも、やはりコンセプトがきちんとしていることは重要です。それに、社内のサポートなどをスムーズに受けるのにも大切なことです。
川崎北米や欧州には、食品や薬品に対して「商品を生産から販売まで一貫して個別商品ごとに温度管理を実施する義務がある」という内容の法規が整備されつつあります。
これまでもデータロガーやRFIDタグなどを利用して温度管理はされていたのですが、コンテナ一個単位などで個別管理ではありませんでした。データロガー自体がなかなか高価なので個別に管理しようとするとコストが高くついてしまいますし、輸送用のトラックに付けたりしていたので一貫した管理というのも難しいんです。
今回開発した温度検知コードは安価であるということもあって、これらを解決する国際標準となり得るものだと思っています。
會田いま、バーコードが全製品に付いていますが、それが完全にこういった温度検知コードに置き換わるようになれば、商品の品質が目に見える世界が来ます。例えば、冷蔵管理の商品がきちんと冷蔵で管理されてきたことが目に見えれば、お客さまは安心してその商品を購入できますよね。
わたしたちとしては、コードを読み取って管理するという基本モデルを温度管理に限らずさまざまな分野に展開したいという思いがあります。物流の品質には、湿度、振動、光など品質管理の要素は温度以外にもありますよね。すべてをインクで解決することは難しいかもしれませんが、インクにこだわる必要もないと思っています。その方法を開発さえすれば、品質全体を管理できるようになると思うんです。
會田これまで新しいイノベーションを起こすようなビジネス、サービス、材料を開発したいとずっと思ってきましたので、まずは今回開発した技術について、サービス運用まで実現させたいと思います。今後もインクや物流にこだわらず、イノベーションビジネスに携わり続けたいです。
川崎今回、顧客起点のビジネスに携わったことで、顧客起点には、事業化に向けた開発をスピーディにできる良さがあることを改めて認識しました。ただ、一研究者として材料の深い研究をしてそれで世の中を変えたいという夢もなかなか捨てきれないですね。
難しいかもしれませんが、研究者としての夢と顧客起点のビジネスの両輪を回してビジネスを起こすことが理想です。