辻 聡美(基礎研究センタ 主任研究員)
佐々木 真美(東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン&エンジニアリング部 デザイナー)
賀 暁琳(東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン&エンジニアリング部 企画員)
ひとりひとりが楽しく働くことを支援するアプリが「Happiness Planet」だ。名札型ウエアラブルセンサーで培った職場の人間行動計測技術をベースにして、職場のハピネス度(組織活性度)の計測をスマートフォン内蔵の加速度センサーでも簡易的に算出できる技術を開発。これを利用し、1人1人が毎日の働き方チャレンジを宣言しその結果をハピネス度で確認することで、それぞれの個性や強みに合った働き方を見つけていくためのアプリである。これを用いて世界中の仲間と働き方改善の集中トレーニングを行うオンラインイベント「働き方フェス」の開催を9月に控えている。
開発メンバーの3人に開発の経緯を聞いた。
(2018年8月29日 公開)
辻半導体の研究者だった矢野(日立製作所・フェロー)が中央研究所のセンサーや電気回路などの技術を集めて新しい開発を始めようとしたところがこのプロジェクトのそもそもの原点だ。その結果「名札型のセンサーを体につけて対面コミュニケーションや加速度を計測すると面白そうだ」ということになり、これが出来上がった頃に私は入社した。
ハードウェアはできたけれど、これを使って何ができるか考えなければならない、ということで、ソフトウェア研究者あるいは私のように機械工学科出身にもかかわらず社会心理学などに興味を持っていたスタッフが集まった。そして、名札センサーを顧客に着けてもらって職場のコミュニケーションのデータを集め、それをどうやって可視化するか、チームの課題は何か、どうやったら良くなるだろうか、などを一緒に考えるワークショップを開催し、試行錯誤を重ねてきた。
佐々木国分寺、青山のデザイン本部で携帯や車載情報機器などのUI(User Interface)デザイン、先行デザイン提案などからスタートし、デザイン本部が赤坂に移転した頃からストレージ/サーバ管理製品やビッグデータ関連製品のUIデザインを担当。2015年あたりから今のチームメンバーとともに、AIがハピネス度を高める働き方アドバイスを提供するというコンセプトのアプリをつくることになった。従来のデザイン的概念を超えて、サービスあるいは制度設計自体のデザインという領域に踏み込んだように思う。最初は技術そのものを理解するのが大変だったが、非常にフラットなプロジェクトだったことから比較的短期間で学習できた。チームメンバーみんなの役割が少しずつ重なっているのが逆にやりやすさになっている。
AIが「こうしたほうがいいよ」という答えを出したとしても、それをユーザーに見せただけでは人は動かない。ダイエットや禁煙と同じだ。「わかっちゃいるけどやめられないし、始められない」のだ。ここが最大の壁になった。美しいUIを提供すればいいと言う話でもない。そこで今は人の行動変容、人の行動を促すタッチポイントとしてどういうUIがあるべきかという研究を進めている。日立が「協創」と言い始めたのが2015年の4月頃なので、ちょうどハピネスのデザインを担当し始めた頃から研究者や社内外のさまざまな人たちと一緒に動くようになった。
賀大学でデザイン科学を学んで日立に入社して4年目になる。情報可視化、情報ビジュアライゼーションに興味があった。現在も大学で博士過程を続けているが、研究の方向も当然情報の可視化だ。
私自身は、自分を研究者とエンドユーザーの間に位置する仲介者みたいなもの、と考えている。研究者はユーザーに伝えたいものをいっぱい持っていて、でも、ユーザー側でまず理解できる部分が少ないから、そこをまず私たちが咀嚼して、こういう言い方だったらユーザーはわかるよとか、ここまでは説明はしなくてもいいんじゃないかというようにデザインという手法で仲介した、といえる。
辻プロジェクトオーナー(矢野)が世界のハピネスを高める技術を作るというビジョンを実現するため、さまざまな部門に声をかけたときにこのメンバーがアサインされた。ほぼ同時にデザイン本部と研究所の一部が、CSI東京として集結したというのが、このプロジェクトではとても大きな意味があったように思う。何と言ってもカジュアルに打ち合わせができる。外部の協力会社などとの関係も作りやすい。
このプロジェクトは「意思決定のスピードが早い」のが特徴だ。これは矢野というプロジェクトオーナーのリーダーシップと、それを影で支えるスタッフの存在が大きい。矢野が未来を見据えてプロジェクトのビジョンを作る。そしてそこにマネジメントが得意なスタッフが手堅く仕事を進めていくというイメージだ。
そもそも日立ではプロジェクト制自体が比較的珍しい。このプロジェクトも基本的に寄せ集めメンバーでやって、結果的に予算のあるときだけ集中的にやってパッと解散する、みたいな形で進めてきた。
プロジェクトオーナーが何か新しい花火を打ち上げようとする。すると、その準備期間が2カ月で、2カ月でつくって2カ月で運用、という具合に(非常に短い時間だが)2カ月が一つの単位になって動いている。
今まではフィードバックするためのデータの可視化は全部自分たちでつくっていた。研究者は論文を書くのが仕事なので、一から十まで、全部、漏れなく、ちゃんと論理が閉じるように説明するという癖がついている。しかしこれはキリがない作業でもある。ここにデザイナーに入ってもらうことでまずはイメージでつかんでいただく、ということができた。Happiness Planetはワクワク感をビジュアルや体験を通して伝えることがとても重要なので、幅広い人たちに届ける力をデザイナーから頂けたのは大変助かる。研究部門にデザイナーがいるメリットを実感している。
辻まずハピネス度を名札センサーで計測するところから全てがスタートする。多様性のある動きをする人は元気であることが多い。実はこのセンサーの数値を意図的に上げようとする動きをする人もいるが、多くの場合、これはハピネスにはつながらないこともわかっている。まさに「正直シグナル」だ。
例えば興味を持っていない子に算数を教えても、なかなか勉強をしないだろう。興味を持ったタイミングで、こういう足し算の勉強してみたらどう?掛け算の勉強をしたらどう?という具合に指導すべきだ。タイミングの捉え方がポイントになる。このように、まずは本人の意思を一番大事にしようというのが今回のHappiness Planetの新規性で、その"意思そのもの"は、みんながそれぞれ既に持っているはずと考えている。
Happiness Planetはハピネスをエンジニアリングする道具ではない。むしろ温度計のような"計測器"ができた状態に過ぎない。その温度計を使ってどうやって人が個性を発揮して幸せになれるか、というのは人それぞれだろう。我々が唯一の答えをご提供しようと考えているわけではないことに留意してほしい。自らトライ&エラーして見つけてみてください、というのが今回のHappiness Planetだ。
「今日は会議が多いから時間どおりに終わるようにしよう」「段取りを考えていこう」「今日はこういうレポートを書くから、いつもよりももっと気を配って読みやすく仕上げよう」「読んでいる人の心を動かすようにつくろう」というように、日常業務ではそもそも、毎日ちょっと工夫しようという気持ちを持った上で仕事をされているはずだ。しかし、会社ではそれを誰も褒めてくれない。であればまずその意思をすくい上げてみようと考えた。
それが「働き方チャレンジ」だ。「どういうチャレンジにしてみようかな」という定型文の選択肢があるだけだが、「前向きな言葉を選んで会話する」「同僚とランチに行っておしゃべりする」「休憩時間にストレッチする」「ブラックコーヒーを飲んで集中する」といった軽いものも入れたのが今回の特徴だ。
これを毎朝、自分で選んで宣言していただく。実行できてもできなくても、私はこの"宣言"すること自体に意味があると考えている。宣言したことを意識して業務に取り組むことが重要なのだ。結果的に「あなたはこのチャレンジを選択すると、普段の日と比べてハピネス度が上がりやすいようです」というデータが蓄積されていくことになる。個人のみならずチームのハピネス度も上げていくためのクラウドサービスがHappiness Planetだと考えていただいてよい。
前回の働き方フェス(2018年2月実施、62 社 1,475 名が集結)のデータもすでにあるので、今回の働き方フェスでは個性とチャレンジの相関関係のようなものがわかるかもしれない、と期待もしている。今回も1,000人以上の方に参加戴きたいと願っている。
ゲーム感覚で職場の活性度を競い合いながら、一人ひとりが主体的に楽しく働き方改革に取り組めるようになることを支援するサービス。スマートフォンのアプリケーション上で、働く人が今日の働き方の目標(働き方チャレンジ)を毎朝登録すると、その効果を組織活性度(以下、ハピネス度)としてフィードバックする。
という簡単な手続きで、働き方分析(ユーザーの働き方の特徴・強みを分析)、ハピネス度ランキング(働き方フェス参加チームのみ)がわかり、楽しく働き方の実験を続けることができる。
Happiness Planetの詳細は以下。
佐々木前回は一種のゲーミフィケーションを実施したと考えてもらっていい。
世の中にはビジネス向けのToDo管理アプリや、健康になるための筋トレ/ダイエットアプリなどは山ほどあるが、それらの多くはチームワークを向上させるためにあるわけではない。チームで集まると何かパワーを発揮するというイメージが欲しい、というところから惑星探索隊をイメージした。「あなたたちのチームは新しい星に向けて旅立った宇宙船に乗ったメンバーです、今、岩だらけの小さな惑星に降り立ちました、皆さんの強みを活かして、この惑星をキラキラ光る大きな惑星に育ててください。」というストーリーを作った。ハピネス度の計測が続くと、だんだんトップ画面の惑星が成長し、チームの特徴に合わせて星の色が変わったり、働き方チャレンジの頑張りに応じて宝石をゲットしたりと、毎日楽しめる仕掛けを用意し、ビジュアルにもこだわった。
辻前回の「働き方チャレンジ」ではおまけ機能だったが、ここが案外楽しいらしい、ということがわかった。どんなチャレンジを設定しても批判されない、ということが重要だ。このアプリは「これをしてはいけない」というようなことは絶対に言わない。さらにユーザーが自分で働き方チャレンジを作って共有できるようにした。業種別あるいは職種別というのはよくある発想だが、むしろ同じ業種や職種でも設定や常識が全く違ったものが有効だったりするほうがお互い刺激になるだろう。
佐々木同じチームの他のメンバーが「今日、どういう気持ちで仕事をしようと思っているのだろう」を覗き見できるのが面白い。人は他人の宣言、つまり意図そのものを応援しようとし始める。これはチームの雰囲気を決定的に向上させる。頼まれてもいないのにお互いがサポートし合う雰囲気が醸成できる。それは「お疲れ様」と言いながらコーヒーを差し入れしてあげる、というような実空間上での行動に現れる。
辻一言で言うと、Happiness Planetはベンチャー的な動きが要求されるプロジェクトだ。本来、日立は重厚感にあふれた"完璧"な製品が多い。完璧に計画して、完璧につくって、完璧にテストした上じゃないとお客さんに出さないのが日立の王道だ。我々も"正確さ"を大切にしてきてはいるが、それ以上に「こういう考え方は顧客に受け入れられるだろうか」というところからPoC(Proof of Concept:概念実証)をスタートさせなければならないと実感している。したがってある程度完成度を犠牲にしてでも「何をめざしているか」が顧客にはっきり伝わるものでなければならない。顧客の意見を開発にフィードバックさせ、スピード重視でプロトタイピングを繰り返していく、という(日立としては珍しい)開発スタイルになるはずだ。
したがって、ユーザーも含め、社内外のさまざまな職種の人たちなど、いろいろな人たちとの"協創"そのものが開発と言うことになる。
身体リズムによって算出されるハピネス度が表しているのは、チームのエネルギーのようなもの。渋谷の交差点に行って、青い服を着た人達がワーッと盛り上がっていて、自分までテンションが上がってしまうような状況、あるいはライブコンサートなどもそうであるように、周りの空気から受け取る、一緒にテンションが上がる共感性、このような相互作用を表しているのがハピネス度なんだろうと考えている。これは科学としてさらに研究を深掘りしていきたい。
例えばここで私だけが一人でケーキを食べて、(佐々木・賀の)二人に意地悪したところで、いくら美味しいケーキでも私のハピネス度は上がらない。悪影響が容易に想定できる。実際の空間の中で、人が同じところにいると、何か影響を与え合っているのはハピネス度に関する実際のデータ分析からわかっている。このあたりの裏付けが取れればまた論文として発表していきたい。
Happiness Planetのような新しいコンセプトのものづくりにおいて、オフサイトミーティングなどでのユーザーからのいろんな意見は非常に参考になるし、とても励まされる。この人たちはこのアプリがあったから出会えたユーザーでもある。今後も継続的な関係を熟成していけると確信している。「このサービスは私が育てた」とユーザーに思えてもらえるのが私たちにとっての最高の成功イメージだ。
そしてHappiness Planetは、「働き方改革ってとりあえず時間を短くすればいいというものじゃないよね、もっとクリエイティブに活き活き生きなきゃいけないよね」という問題提起を投げかけるという意図も併せ持っているので、この辺りまで来ると(個性を活かすという意味で)アートの領域なのかもしれないと思う。そのためのビジョンも提示していきたいと考えている。
辻 聡美 Tsuji Satomi
基礎研究センタ 主任研究員
愛読書は『魍魎の匣』。
佐々木 真美 Sasaki Mami
東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン&エンジニアリング部 デザイナー
森絵都さんが好きで、お気に入りの本は『カラフル』。自殺してしまったデッサンをやっていた主人公に乗り移ってもう一回人生をやり直す小説。一つの角度でしか見ていないと悲観的に捉えてしまうことも、別の人の観点でその人の人生を歩むとさまざまな色に見えてくる、ということがわかる。
賀 暁琳 He Xiaolin
東京社会イノベーション協創センタ サービスデザイン&エンジニアリング部 企画員
書籍ではないのだが、カンディンスキーのファン。抽象画を描く人だが、色の使い方が非常にうまい、と感じる。UIデザインの方法論を考える時に非常に参考になる。